時間の感じ方
空を見上げると目の前には電線やら、建物やらが視界を遮り本当に見たい空はその先、見たい面積を削られてしか見えない。
だから、人は開けた場所で空を見るんだと思う。
たくさんの物がある場所は偶に鬱陶しくなる時がある。
話が未来へ飛ぶが、
歩いている時に靴下の後方が捲れて踵が出てしまう現象の名前と対策が知りたい。
時を戻そう。
物が多くて鬱陶しく感じるには物に埋もれなければ、それを感じる事が出来ない。もし、物がなくても物が多いと鬱陶しいだろう。と考える人は人間のセンスが高いと思う。
現に自分も最近物の鬱陶しさに気がついた人間である。
なぜ物が多くなったかと言うと、物を捨てる事が出来ないのである。
完全に使用不能となった物に関しては捨てる事ができるが、まだ使用できる物を捨る事が出来ない。
何故と言われても理論的な答えを上げる方は出来ないが、強いて言うならまだ使えそうだからである。
少しずつ断捨離を進めて行けたらいいと思う。
長年使用している物には神が宿ると言う、日本の言い伝えがあるが、そんな物を気にしていたら、クタクタになった靴下をこんなにも長く使用していないだろう。
巡る時と戻らない時。
同じ様で毎日が変化している。
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お疲れさまです
魔境
やはり、人間はわがままな生き物だ。
小説、映画、漫画、アニメ。最後が気になり早く早くと思いながら、終わりそうになると、このまま、続いて欲しい。終わらないで欲しい。
そう思ってしまう。
最近、長らく続いて来た壮絶な物語が遂に終わってしまった。
どの様に、終わるのか最後をどの様に締め括るのか。作中の登場人物のセリフと自分の思いが重なり大団円で終わりを迎えた。
満足感と喪失感それらをぐちゃぐちゃに混ぜた余韻が当分抜けない様だ。
約10年いや、20年待っていたのだ。
この余韻は、どれだけ続くのだろう。
この思いもいつかきっと忘れてしまうのだろう。
嗚呼、物語は、なんで罪なのだろう。
人が作り出した物語
見えてる物より、見えない物を
信じた人ばかり
後は、好き勝手に語り合えばいい。
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お疲れさまです。
予習vs復習
間違いからたくさんのことを学び自分の成長する事が非常に多い事がある。
これが、自分の学ぶ多くのスタイルなのだが、昔たくさんあった、小テストは歳を重ねるたびに無くなっていく。
1度取り組んだ問題に関しては、2度目はしっかり出来る事が多い。それなのに、歳を取ると何事も初見の問題が降りかかってくる。
そうなってくると、予習がとても重要だと気がつく。復習での成長ではなく、予習で先に成長する必要がある。
これは、人生において予習が大切。復習が大切論争を終止符が打たれる結果だと思う。
予習とは、自分がこれから未知の問題に対する対策であり。
復習とは、自分が経験した過去の問題のに対する対策である。
確かに、学生の様に試験の問題が、過去に解いた事のある問題の詰め合わせなら、小テストで間違った場所などを、復習する事は大切なのかも知れない。
しかし、予習を完璧に出来ていれば、1発目の試験から満点を取る事が可能になる。
これを可能にする予習を出来る人はは、もはや登校する意味が無いと思う。
しかし、よくよく考えてみると、この予習をいきなり出来るわけもなく、これを可能にする為の学校なのではないか。と仮定するとそんな気がする。
〜予習能力を高める〜
①学習範囲を自分なりに予習する
②授業を受ける
ここで、先生の説明と自分の予習内容を比較し不足部分を補う。
③次回授業の予習を、前回の不足範囲を考慮して行う。
④授業を受ける→以上繰り返し
これを行う事で、自分で予習を完璧に出来る様になる。
予習を完璧に出来ると言う事は、1人で新しい事を学ぶ力が付くと言う事なので、学校に行く必要が無くなる。
これが、予習の方が圧倒的に重要な能力である事の証明である。
以上、証明完了。Q.E.D.
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お疲れさまです。
超能力者
食べることは好きだけど、毎日何を食べるか考えるのは面倒だ。
自分の中ですら何を食べたいかわからない時がある。
自分の事なのにわからない事があるのは、AIよりも人間が劣っているんじゃないかと思う。
その点、世の中には毎日、家族にご飯を作ってくれる人がいる事に改めて感心する。
例えどんなに、雑でも必ず提供してくれるその優しさは、親と言う種類の人間になれる人達に備わった本能なのだろうか。
それとも、どんな人にもそういった能力が付与されるのだろうか。
学生は、大人になる為、過去の出来事を学び昔は、「こんな人がいて、こんな事を考え、こんな事を発見した。」そんな事を考え友人と話す事がなによりも刺激的だったように思う。
その後、社会に飛び出し。周りを見渡すと学生の時とは違い、現在、未来の事をずっと見ていないといけない。
見えないものを見ようとする事は、心底大変だと思う。
じゃあ、学生の時に、未来を見る方法を学ぶべきなのかと思う人もいると思うが、未来を見る為には、過去を知る必要がある。未来のが見える人は、圧倒的なセンスがあるか、AIのディープラーニングだ同じ様に、過去の事象から未来を見ているからである。
そうなってくると、2000年続いている人類史を9〜18年程度で学ぶのは相当な高性能である必要がある。
あぁ、これから生まれる人はどんどん増えていくんだろうな。
結局何が言いたいかと言うと、毎日自分の為に何を食べたいか、他人の事を考え、それを作れる。そんな優秀な人が僕らの身近にいます。ってこと。
でも残念ながら、その能力を世の中に存在する、超優秀な人間ではなく、凡愚な自分に捧げてしまっている。とか。思うと何かを頑張れる人もいるのではないでしょうか。
自分は気にしてませんが。
自分の味方はどこにいるかなんて、
気になっている時点で
周りは敵だらけ。
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お疲れさまです
目的地
自分の考えを表現する際、周りの環境はその考えに影響があると思う。
これは自分が、優柔不断なのか。思考の切り替えが早いのか。良い事なのか。良くないことなのか。
なぜこの話をしているか、というとブログを書く際、必ず音楽を聴きながら書いているからである。筆者は根っからの音楽の虫である。
幼少期から様々な、音楽を聴き漁った。
No music is No life とは自分の言葉なのかもしれない。
話戻すが、ブログを書いている際、曲のフレーズと自分の心情(書いている内容)が重なる時がある。その先、自分の考えている事と曲のフレーズを聴き比べ、練ると新たな考えが生まれる事がある。
そんな時、「あぁ、こんな考え方もあるなぁ」くらいでこのブログに書いてます。
そんな訳で、ここに書いてある全てが自分なのですが、自分でないのかもしれない。
ここに書かれてる自分に憧れて
自分を見失っているのかもしれない。
殺人をした人の隣人は、ニュース番組で、「そんな事するような人だと思いませんでした。」とコメントするが、本人もそんな事、するとも思っていなかっただろう。
自分はどこにいて、ここにいる自分はどこに行くのだろう。
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お疲れさまでした。
Japanese Style
日本には先輩と後輩という文化がある。海外にあるのかはしっかり確認していないが。
この、先輩という文化は、自分にとっては厄介である。とくに、年齢によって先輩と呼ばれる人が苦手で、文化的にどんな先輩でも尊敬しているのだが、人として尊敬できない人もいる。
日本人ならば、この問題は一生悩まなければならないと思っている。
大和魂とは、この先輩後輩についても含まれるのだろうか。
自分は、根っからの日本人なので、後輩として、初対面の年上の人には(結局、年下の人にも、)必ず敬意を持って接するように心掛けている。(無意識で出来ていない時点で疑問であるが)たまに、自分と相性が悪い先輩だ出会ってしまう。相性が悪い後輩なら、なあなあに出来るが、
先輩はそうは問屋が卸さない。
無視するわけにもいかないし、意見もし辛い。
その行動が、良くないという事は十分受け入れるが、それが、自分なのだ。
だから、この問題を抱いているのである。
前を向いていこう。
闇の中を走って、いつの間にか
スタート地点に戻ってしまったら
そんな器用な自分を、大切にして
その時に、振り返ってもう一度進み出そう。
次は必ず、前よりゴールに近づけると信じて。
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お疲れさまです。
何を言いたいか分からない。そんな日があってもいい。
世の中には簡単な事と難しい事がある。
しかも、人によって変わる。
なんでも簡単にできる人凄いと思うが、羨ましくは無い。
難しい事を出来た時、自分は達成感を味わう事ができるからだ。
ここでのポイントは、「あの人は簡単な出来たのに。」と相手と比較しない事である。
自分にとって難しい事を出来た。
この達成感をたくさん感じるには、何事も簡単に出来無い事が大切だと思う。
この、成功体験を積み重ねる事で自分が成長している実感を感じて生きることができる。
しかし、努力をしないといけないので、好き嫌いが分かれてるので、何事も簡単に出来る人が羨ましいと思う人もいるだろう。
「努力」は、忌み嫌われるもので、この行為は自分が好きな事だけしか行う事ができない。
この仕組みを、早く理解して、運動や勉強で努力する前に、運動や勉強を好きになる所から教えてあげた方がいいと思う。
明日への道は空を見上げて
何処かで途切れる事が無いように
無限に広がる
あの道を歩いていく
ここまで読んでくれてありがとうございます。
お疲れさまです。